ブログ 横根平子のまちを見つめて

2016年

1月

27日

山にいだかれ 眠る

 

私たち大人が、次世代の子どもたちに残していかなければいけないことがあると考える会員のA.I.さんが語ってくれました。子どもたちが健康な体、心豊かな大人になる為には、

 

・身近にいつも遊んでいる所に自然やいろいろな生き物がいること

 

・きれいな空気、水、土、安心して食べられる野菜がある心が落ち着ける美しい場所があること

 

・変わらないふるさとがあること

 

が必要なのではないかと思います。

 

 

“山にいだかれ 眠る”

 

私たち大人が子どもの頃、遊んでいた記憶を思い出してください。

 

私たちは自然と一緒に育ち、たくさんの恩恵を受けてきました。

 

それを、これからの子どもたちにも伝えたいと思います。平子の緑の山について、地元の方々は普段は感じていないかもしれませんが、もしこの緑がなくなったら悲しいですよ。

区画整理の予定地に、準絶滅危惧種に指定されているヒメボタルがいっぱい出るんです。造成したら皆死んでしまいます。どうしたら助けることができますか?

いいアイデアはありませんか?

皆さんと一緒に考えていけたらと思います。

木々や自然のありがたさ、もう一度考えてみてください。
木々や自然のありがたさ、もう一度考えてみてください。

2016年

1月

26日

幼虫調査から見えるもの

 

昨年11月に行ったヒメボタル幼虫調査・設置に参加した会員Y.K.さん。回収には立ち会えなかったものの…。

100個のフィルムケースを埋めた時に、1つか2つ入っていれば上等と思っていたが(ひとつも入っていなくても仕方ない)10匹もいたと言う回収結果を聞いて本当に驚きました。

幼虫が育つ環境ができていることにも感動!

この横根平子地区だけでも何カ所か生存している。

何としてもこの環境を保護していきたいと強く思いました。

 

この地区はウグイスの鳴き声で目がさめ、駐車場にキジの親子が並んで歩いています。畑ではミミズがたくさんいて、黄色に黒、黒に赤2つ入ったテントウ虫がアブラ虫を食べています。

ヘビの穴もいくつか開いています。きっと、エサがたくさんあるのだと思います。トカゲもいろいろな種類がいます。

様々な生き物が共存しているからこそ、ヒメボタルも生きていけるのだと思います。

10匹のヒメボタルとドキドキのご対面。
10匹のヒメボタルとドキドキのご対面。

2016年

1月

25日

まさか!竹やぶのホタル!

このまちに畑を持ち、娘さんが住んでいる会員T.K.さんから、ヒメボタルとの出会いについてこんなお話を聞きました。

 

 

2010年頃だったと思います。娘から突然の電話で「11時過ぎにたくさんのホタルが飛んでいる」とのこと。

私の認識ですと、ホタルは川や田の近くの水、清らかな所に住み、カワニナをえさにしているという乏しい知識。「まさか」と思い、5月の夜遅く出かけました。しかし、なかなかその姿を見ることができず、今日はもう飛ばないのかと思ってあきらめかけたその時…。

小さくほのかなあかりが、二つ、三つ、四つ…。

本物のホタルだ!

竹やぶと雑草の間のやや湿っぽいあたり。なぜこんなところに?

“竹やぶのホタル”。

それは、不思議な光景でした。

後日、元中学校の理科教師に尋ねたところ、「ホタルにもいろいろな種類があって、川がなくても湿地でなくても、湧き水がなくても生息できる小型のホタルでヒメボタルと言うんだ」との話。

さらに、「竹やぶがあれば、そこにヒメボタルが住んでいるのではない。おそらく豊かな自然環境に恵まれているんだ。相当めずらしいことだよ。ぼくも一度見に行ってみたいなぁ」とも話していました。

大府市内に「ホタルが住む里」があることがすばらしいことと思いました。

その後、キジの親子が道を渡るところや、コゲラのコンコンコンと木をつつく音などを聞くこともでき、このまちのすばらしさを改めて感じました。

子ども達の遊び場にもなっている竹やぶです。
子ども達の遊び場にもなっている竹やぶです。
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2016年

1月

15日

私の子どもたちへ

またまた会員Y.K.さんから、このまちへの想いをこんな形で。

 

“生きている 鳥たちが

 

生きて 飛びまわる空を

 

あなたに残しておいて

 

やれるだろうか 父さんは…”

 

これは、40年以上前に耳にして、よく自分も歌っていた故・笠木透さんの作詞作曲による「私の子どもたちへ」という歌の一部です。

当時は、なんとなく「そうだよね」「いい歌だなぁ」ぐらいに思っていました。

しかし、区画整理によって、この平子の豊かな自然が失われようとしている今、この曲の持つ意味がとても重く、深いものに思えます。

私の横根平子の一番好きな所は、天上(てんじょう)と呼んでいる小高い丘です。

ここまで上ってくると、遠く南アルプスの山、刈谷ハイウェイオアシスの観覧車、新幹線、刈谷の花火などが眼下に広がり、日々の細々とした思いやささくれも吹っ飛びます。

冒頭で紹介した「私の子どもたちへ」の続きがこちらです。

 

“目をとじてごらんなさい

 

山が みえるでしょう

 

近づいてごらんなさい

 

コブシの花が あるでしょう”

 

目を閉じて感じる空気、季節の匂い、鳥の声、木々の息遣いを感じて、自分たちにできることは何か、改めて感じずにはいられません。皆さんも、ぜひ天上の丘に上って、感じてみてください。

今日の天上。澄み切った冬の匂いがします。
今日の天上。澄み切った冬の匂いがします。
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2015年

12月

31日

小原さんと、横根平子を歩いて

会員Y.K.さんからこんな報告がありました。

111日、まちづくりの会主催の講演会の後、講師の動物写真家・小原玲さんと平子のまち(散歩道)を歩きました。

 

歩き歩き、竹林を覗き込んで「ここはヒメホタルがいそうだね」という小原さん。

確かにそこは5月下旬頃、かぐや姫のごとく、美しく光っていた場所。さらに、その後12月に行った幼虫調査で結果が出た場所です。

 

「ヒメボタルは竹林だからではなく、大きな木があるかないかで決まるんだよ。大きな木、中低木、草地、虫がいて、鳥がいて、人間がいる。人間も自然の一部であり、共生しているんだよ」。

ゆっくりと優しい声で、でも確信を持って話す小原さん。

この言葉に私は深く深く感動し、納得すると共に、ヒメボタルのいる平子の自然に、改めて畏敬の念を抱きました。

 

決して大げさではないですよ。平子っていいところだなぁ。

いつからここにいるのでしょうか。横根平子のかけがえのない、“大きな木”です。
いつからここにいるのでしょうか。横根平子のかけがえのない、“大きな木”です。
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2015年

12月

29日

テレビで観た小原さんを、講演会に!

それは、今年の7月上旬、主人が教えてくれた一言から始まりました。

「ホタルの写真を撮る小原さんって知ってる?」。

これだけホタル、ホタルと言っていながら、小原玲さんの存在を知らなかった私…。早速、録画してくれていた「マツコ有吉の怒り新党」を鑑賞しました。

軽快な切り口とやや毒舌気味な番組VTRの中で、際立つ小原さんのキャラクターと映像美。ホタルと自然への考え方やその姿勢はまさに私たちの目指す所です。

さらに、マジメで、でもちょっとおとぼけで、そして、まっすぐにホタルと向き合う姿にすっかり心奪われた私は、何か、私たちのまちのヒントを与えてくれるかもと、早速検索。

Facebookにたどり着き、小原さんが名古屋にお住まいというのもあって、超思い切って(本当に本当に緊張しました!)メッセージを送ってみました。

すると、拍子抜けするほどすぐにお返事が。

簡潔ながら丁寧なその内容に、その場は「来年、ぜひ横根平子のヒメボタルを撮影しにきてください」という感じで終わったのですが、その後、会の中で「小原さんを講師に招いて、ヒメボタルについての知識を深められないだろうか」という意見が高まり、無理を承知でお願いした所、快諾して頂きました。

 

 

「多くの写真集を出し、メディアにも登場する小原さんが大府に来てくれる!」そんな喜びと共に、講演会を成功させなければというプレッシャーもそれなりに…。

 

そこからは、チラシを作って、色々な所に置いてもらって、新聞社にも取り上げてもらって…定員50人完売に向けて必死。

会員総動員で内容を詰め、準備をして、そして当日―。

ドキドキの中で会場のアローブ2F会議室で準備していると、フラッと現れた小原さんは、予想以上に?大柄で、そして、予想以上にニュートラルで真摯な佇まい。

まっすぐに前を見て、ゆっくりと静かに重厚感ある声でお話されます。ともすると足元がフワフワしてしまうほど緊張していた私も、スーッと冷静になれるような安心感のある方でした。

 

 

講演会では、小ネタを挟みながらの楽しいトークと共に、美しいホタルの映像と実体験に裏付けされたお話が聞く人の心に染み込みます。

最後の質疑応答でも、一人ひとりの質問に丁寧に答え、質問者の話を熱心に聴く姿に人柄がにじみ出ていました。

大成功の講演会後は、会員とお昼をご一緒させて頂きました。

やはり話題は「横根平子のヒメボタルをどう守ったらいいか」。

会員が小原さんを取り囲み、まさに、すがるような思いで、様々な手立てを教えて頂きました。

ランチ後は小原さんが「よかったら、今から実際にまちを見てみましょうか」とおっしゃってくださって、急遽、横根平子に移動。そのフットワークの軽さに、またまた脱帽したのは言うまでもありません。

手探りながらも、どうにかヒメボタルをこのまちに残せたらともがいている私たちにとって、小原さんはまさに希望の光。希望のホタル。

光を頼りに、できる限りのことをしなければと、改めて思ったのでした。

小原さんの著書「ほたるの伝言」は、その文章も素晴らしく。
小原さんの著書「ほたるの伝言」は、その文章も素晴らしく。
一言一言が、染みるなぁ。
一言一言が、染みるなぁ。
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2015年

5月

13日

発見いっぱい、調整池ウオッチング!

このまちで進められている区画整理の計画。

簡単に言うと、土地を整備して更地にし、そこに住宅用地や道路、公園などを配して、新たなまちを作る計画です。


その中で必ず作らなければならないのが「調整池」。豪雨時の雨水を貯める為に必要とされています。

今ある山を削り、植物を抜き去り、アスファルトの道路を整備して宅地を作る為、どうしても今までの均衡が崩れ、雨水が土に染み込まずに溢れてしまう。その溢れた雨水の行き場として「調整池」が作られるのです。

「植物が近くにあるとホッとする、癒されるというだけでなく、木々は地下に根を張り、土は雨水を染み込ませ、バランスを保っている」。この事実に、改めて自然の偉大さを感じると共に、近年の異常気象、集中豪雨による土砂災害は見逃せない問題。

横根平子のまちは、高低差が激しい地区なだけに、慎重に考えるべきなのではないでしょうか。

“本当に雨水は池から溢れないのかな?”

“地区の端に作る計画だけど、その下の地区外にも人家があって、そちらへ影響はないのかな?”

“通学路に面して池が配置される計画があるけど、池での事故が心配…”

“悪臭や害虫の発生は大丈夫なのかな?”

など、疑問点は尽きません。


そこで先日、今ある調整池を見に行こうと、会員数名で市内の区画整理地区にある調整池を視察。

調整池ウオッチングを行いました。


半日かけて回ったのは9箇所の調整池。

深さは約3メートルから深いところで8メートルで、どの池も水はほとんど貯まっていないという共通性はあるものの、状況は様々。

広さ、池の中に生えている雑草の有無、周囲の植栽の有無、周りは人家か遊歩道か、幹線道路か、などから、見た目の威圧感や印象はまったく違います。

何もしなければ、コンクリートの壁に有刺鉄線の張られたフェンスのそっけない作り。でも、そこで日々暮らす人の気持ちを考えれば、もう少し気持ちのいい池にできるのではないでしょうか。

雨水を貯めるという本来の機能を確実に行うと共に、「調整池」はまちの雰囲気や印象をも決定付けるんだなぁと考えさせられる調査となりました。

にしても、比較してみると様々な発見に満ちていた調整池ウオッチング、かなりオススメですよ!

池によって様々な表情が
池によって様々な表情が
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2014年

7月

04日

雑木林は、まさにパワースポット!

 

青々と草木が勢いよく茂り、横根平子のまちも夏を迎えようとしている今日この頃。

このまちの自然環境の素晴らしさを訴えるA.I.さんが、幼い頃の思い出を語ってくれました。

 

自然のままの起伏のある地形、やわらかな草々が生えている土手。

畑には季節の野菜の畝が整然と並び、野鳥の声も耳にやさしく、宝池にはカイツブリがもぐったり顔を出したり、水面に木々が映る光景がなんともここち良い。

そんな横根平子の雑木林は、母と私と幼なじみのなつかしい思い出の地です。

 

今から60年近く前のことです。昭和三十年頃、母の在所は藤井神社の隣、嫁いだのは刈谷の熊村(当時の言い方)でした。

私が小学校三年の秋だったと記憶します。

 

稲刈りを終え、野良仕事が一段落すると、母が「横根山(平子)へ行くよ」と私に言いました。

私は近所の仲良しだった友達を誘って、おにぎりを持ってピクニック気分。

稲刈りが済んだ見渡す限りの田んぼの中の堤防を歩いていくと、目的地である、お椀を伏せたような形の良い緑のお山が、遥か彼方に見えます。

途中、休憩には、母が大根を鎌で輪切りにし、皮をむいてくれました。

中身は真っ白で、甘くみずみずしく、とっても美味しかった。

逢妻川、境川の橋を渡り、「もう少しだよ」と言う母の言葉に励まされ、歩いて歩いて歩き続け、横根平子の雑木林に入った時の、ヒヤッとした、さわやかな感覚は今でも鮮明に蘇ります。

木々の間からチラチラと陽が差し、美しく、まるで別天地のような不思議な気がしました。

片道三里(12キロ)の道のりがあったにもかかわらず、きっと母には日々の苦労をいやしてくれる何かがあったのでしょう。

 

そう、自然の力、変わらないふる里の空気、親が耕している畑、それらは心と体を元気にするパワースポットだったのです。

 

そして、今、私もこの地に立つと、ストレスから解放されて、不思議と元気が出てきて心が落ち着きます。

子どもや孫たちにも、この自然の力、パワースポットを残してやりたいと切に望んでなりません。

 

今、ここが区画整理されようとしています。

失うものと得るもの、その価値を、もう一度皆で考える必要があると思っています。

丁寧に手入れされたA.I.さんの畑と雑木林。
丁寧に手入れされたA.I.さんの畑と雑木林。
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2014年

5月

23日

今年もヒメボタルがやってきました

 

517日考える会のKさんから「今年も家の畑にヒメボタルが現れましたよ」という連絡をいただきました。横根平子地区では、何カ所かヒメボタルが現れる場所があります。

早速、次の日の夜、近くの林に出かけました。

ホタルが飛び交う大体の条件としては夜であること、無風であること、月の光があまりなく暗いことだと言われています。

 

この日はちょうどその条件に合っていたので、どきどきしながら出かけました。

林へ行くとそこにはTさん家族が先に観察に来ていました。

 

草むらに優しい光が見えていました。林の奥を見ると何匹かが争うように光らせていました。TさんちのKちゃんが手にとってみせてくれました。そのうちホタルは飛んで、反対側にある草むらに光りながら飛んでいきました。

 

その姿はとても幻想的でした。

 

Nちゃんに「Kさんの家の近くでもホタルが見えたよ」と言うと、「今から見に行きたい」と言います。「夜が遅いから」とTさんに言われしぶしぶあきらめましたが、彼女のホタルへの強い想いがひしひしと伝わってきました。

 

 

ヒメボタルは自然度の高い林などに生息すると言われています。しかし日本各地では生息環境の悪化などで生息数が少なくなっています。名古屋市では準絶滅危惧種としてヒメボタルを守ろうとしています。陸生のヒメボタルは飼育が困難で人工的には繁殖させるのは難しいとされています。横根平子地区にはヒメボタルが生きられるすばらしい環境があるんです。是非そのような環境を保持し、ヒメボタルを守りましょう。

 

Nちゃんたち子どもたちの未来をヒメボタルにたくしていきましょう。

5月17日撮影。Kさん宅の裏の畑で。
5月17日撮影。Kさん宅の裏の畑で。
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2014年

3月

31日

薄墨桜を愛でる

 

「ホーホケキョ」といううぐいすの鳴き声が朝から気持ちよく聞こえる今日この頃。春の気配をきちんと感じられる、そんな自然環境に感謝しつつ春の喜びに浸る毎日です。

 

そして、今年も中村墓地近くでは、淡墨桜(うすずみざくら)がまさに見頃。

 

ピンクのような、白のような、淡い花が両手を広げるように咲く様は本当にきれい。一般的なソメイヨシノよりも開花が早く、春の訪れをいち早く感じることができます。

元々岐阜県の根尾谷淡墨桜は、山梨の山高神代桜、福島の三春滝桜と並ぶ日本三大桜のひとつ。

蕾の薄いピンク、満開の白色、そして散りぎわに淡い墨を引いたような色になることから「薄墨桜」というそうです。

 

横根平子のまちは、人々の手が入った里山。実は、この薄墨桜も、土地の方が植えたのだそうです。

木を植えるということは、自分たちだけでなく、そこを通る人々にもほっこりした気持ちをもたらしてくれたり、まちの印象をも変えることなんだなぁと青空に映える桜を愛でながら思うのでした。

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2013年

12月

26日

まちの素晴らしさに気付いて

「人口の公園や緑地帯を作るのではなく、自然体系を生かしたまちづくりを」との想いで会に参加するY.K.さん。

 

初めてこのまちの宝池一帯の景色を目にした時の感動を、今でも鮮明に覚えているのだとか。

「国道から少し入っただけの所にこんな自然が残っているとは!」と本当に驚いたそうです。

元々この地域の住民ではなかっただけに、衝撃的だったのかもしれません。

 

ここで生まれ育った私などは、ともすると見慣れたこの景色は当たり前。このまちの自然の素晴らしさに気付きにくいものなのです。

でも、雑木林と畑と様々な生き物が共存し、歩いて心地いいこんな素敵なまちは本当に貴重だと改めて気付かされます。

 

今ではY.K.さんの娘さん家族が移り住み、お孫さんたちは自然の中を駆け回りすくすく成長中。ご自身も畑を耕し、自然の恵みを受けているのだとか。

自然を慈しむその暮らしを、私たちも見習いたいものです。

 

季節の野菜が育つY.K.さんの畑です
季節の野菜が育つY.K.さんの畑です
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2013年

12月

15日

美しい紅葉の中で、自然観察会&青空カフェ開催!

さて、「自然観察会&青空カフェ」当日。

 

心配していたお天気も、この日ばかりは小春日和!中村墓地近くの加納さん畑に集まった総勢22名で宝池を目指しました。

お茶の木の話、竹林で鳴くヒヨドリの話、竹林整備の話をしつつ、ゆるゆると細道を歩きます。

 

近くに住んでいても、初めて通る道だったり、場所だったりと「こんな気持ちいい所があったんだ」と驚きの声も聞こえました。

 

見上げれば赤や黄色の紅葉の中に、常緑樹の緑が美しく、足元にはふかふかの落ち葉の中にどんぐりが。参加してくれたたくさんの子どもたちは、色々な形のどんぐりを興味深げに拾っていました。

宝池ではキンクロハジロやホシハジロなどの渡り鳥、カルガモやコガモを双眼鏡で観察。

さらに、会員の畑で大根とサツマイモを掘り、戻ってきた畑の横でお茶を飲みます。

 

程よく歩いた体に温かいコーヒーとお菓子がおいしく染み渡り、おしゃべりにも花が咲きます。

 

みんなで散歩することの楽しさを再発見し、木々や鳥達も身近に感じられた一日でした。

「自然観察会&青空カフェ」の様子は、「まちづくり通信5号」や、ホームページの「活動報告」でもご紹介します。ぜひご覧ください。

皆で紅葉の中に!
皆で紅葉の中に!
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2013年

12月

05日

森とともに、どう生きるか

先日行われた「自然観察会&青空カフェ」。

 

実は(公財)日本鳥類保護連盟 専門委員の方にナビゲーターをお願いしようと思っていたのですが、都合が合わず、当日は私達で解説をすることになりました。

 

そこで、事前に専門委員のIさんに下見をお願いして、色々教えていただきました。

鳴き声を聞いただけで何の鳥かわかるIさんに、「ああ、なんか鳴いてるなぁ。心地いい鳴き声だなぁ」くらいにしか感じていなかった私はビックリ!

しかも、同じ鳥でも鳴き方は様々で、ウグイスなどは時期によっても変わるのだとか。

 

確かに鳴くには意味があるわけで、求愛だったり、餌の在り処を知らせていたり、鳥にも鳥の事情があるんだということに気づく瞬間でした。

 

Iさんは里山保全にも力を入れていらっしゃって、草木のことにも詳しく、竹林の手入れ方法や、葉っぱやどんぐりから木の名前を教えてくれたりもします。

 

そんな中で、「昔と違って今は森が暗くなって、陰樹が多い」というお話が印象的でした。

ここ横根平子地区も例外ではありませんが、昔は人々が定期的に山に入って木を伐採していたのですが、今は手付かずになっているのだとか。

薪を拾ったり、木を加工したりと、生活の為に必要な木を入手していた昔と違って、今は人が山に入る理由がなくなってしまって、均衡が保たれていた木と人との関係が崩壊し、木は生い茂り、暗い森になったというのです。

 

適度に手入れされた森の方が、様々な木々が育ち、それによって生かされる動物や植物も違ってくる。「生き物は単体でなく、つながって生きている」という言葉が心に響きました。

人々の生活スタイルが変ったから仕方ないとするのか、でも、人間だって生き物だから、そのつながりの中に入っているはずなんだけど…と思ったり。

 

さらにIさんの「まずは森をきちんと調査して、どんな生き物がいるか調べることから。その後、例えばキツネが住める森にするとか、どんな森にしたいかで行うことは変わる」というお話は、このまちについて私達が考えるべき、大きな課題ではないかと思いました。

 

下見の日も、横根平子地区は紅葉が真っ盛りでした
下見の日も、横根平子地区は紅葉が真っ盛りでした
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2013年

11月

19日

アイソン彗星がやって来た!

天文ネタをまたひとつ。

「今年最高の天体ショー」の呼び声高いアイソン彗星のことをご存知ですか?

実は11月下旬から12月上旬の今時期が最も見頃。

 

夜明け直前の東の空、低い位置を見てみてください。双眼鏡はもちろん、肉眼でも尾を伴ったその姿が見られるかもしれません。

 

彗星は長い尾をひくその姿から「ほうき星」とも呼ばれる天体で、太陽に近づき暖められるとガスや塵を吹き出し、淡く輝いて見えます。アイソン彗星は太陽のすぐ近くを通ることから、まれに見る大彗星になるのではと期待されています。

 

また、76年ごとに現れるハレー彗星などと違い、アイソン彗星は今回が一度きりの太陽接近。二度と戻ってこないその姿を、ぜひこの目で見たいものです。

 

寒さも増して、空の透明度が高くなるこの季節。少し早起きして横根平子の坂の上に登ってみませんか。

太陽系の遥か彼方からやって来た彗星が、朝焼けの中できらめく姿に心奪われること間違いなしです。

(太陽に最も接近する1129日から前後23日は見えなくなるそうです。彗星の見え方などは最新情報をチェックしてください。)

 

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2013年

11月

15日

固定資産税について、わかりやすく

先日の11日(日)、大府市出前講座「税の基礎知識」を行いました。

横根公民館に集まった参加者の方々は、市の税務課職員の方の話に熱心に耳を傾けていました。

こちらがお願いしていた通り、区画整理の主体となる土地に関する税金である固定資産税についてわかりやすくお話してくれました。

質問の時間では、参加者からの素朴な疑問にも丁寧に回答していただき、有意義な学習会になりました。

 

講義の内容や質問内容は、追って「活動報告」にアップします。

参加されなかった方、乞うご期待ください!

 

学習会の様子
学習会の様子
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2013年

9月

29日

サツマイモ大収穫!

いつの間にか空が高くなり、虫の声が優しい今日この頃。

私の母Y.K.の畑では、5月に植えたサツマイモが大きく育ってきました。

 

ツルを切って、イモを傷つけないように鍬を入れて、掘り起こして…とかなりの重労働。

そうして大きなおイモが顔を出しました。

 

植えっぱなしでそれほど手入れしていないのに、この収穫!

自然の偉大さを感じる瞬間です。

 

この後、1週間ほど天日干しすると、さらにあまーいサツマイモになります。

シンプルにふかしイモや、大学イモ、天ぷらにサラダ、炒めものやスイーツにもピッタリ。

自然の恵みに感謝する一日でした。

 

大きなおイモがゴロゴロ
大きなおイモがゴロゴロ
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2013年

9月

09日

コンパクトシティを目指して

このまちに住むT.O.さんが思うこれからのまちづくり。

それは、「コンパクトシティを目指すべき」だということです。

 

最近よく聞く「コンパクトシティ」とは、都市計画やまちづくりの概念のこと。


都市の郊外への拡大を抑え、中心部に住宅、職場、店舗や、公共機関を集め、中心街を活性化する。そうすることで、住民は車ではなく、公共交通機関や自転車、徒歩で生活しやすくなります。

気軽に車に乗れないお年寄りも買い物に困らないという利点もあります。


日本では高度経済成長期以降、郊外に大型商業施設や住宅が建てられたことによって、中心街の空洞化や郊外の環境破壊を招きました。


しかし現在、高齢化・人口減少に向かう中で、効率や利便性を考えると「コンパクトシティ」が望ましいということです。

国土交通省でもこの動きはあり、2006年には街づくり三法(都市計画法、中心市街地活性化法、大規模小売店舗立地法)を改正し、郊外での大型商業施設の建設抑制に乗り出しています。

 

ここ大府も例外ではなく、人口は増えているものの、駅前商店街はシャッター街と化し、買い物は郊外に車で出かけるのが日常です。

 

では、本当に未来を見据えたまちづくりとはどんなものなのか?


「人口が減少する時代に、区画整理事業による宅地供給が本当に必要なんでしょうか」とT.O.さんは言います。


世の中の動向、予想される未来をしっかり見つめて、かけがえのない自分たちのまちをどうするのか、考えるのはきっと、今なのではないでしょうか。

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2013年

9月

02日

のどかな時代

昭和30年代、子ども時代をこのまちで過ごした私の母。


その頃は、今よりも緑あふれ、土手に生えている野いちごを取って食べながら丘に登ったのだとか。

今の横根保育園の前の山林に入って、薪を拾ったり、わらびやぜんまい採りに精を出したり、斜面を滑って遊んだり。

自然と一体になって遊んでいたのですね。


畑の所々にあった糞尿のため池に、子どもたちと一緒に走り回っていた犬が落ち、必至で這い上がろうとしていた様が今でも目に浮かぶと、さもおかしそうに話してくれた母。

 

人もおおらかで、山々と一緒に生きていた、幸せな時代だったようです。

薪拾いや、わらび、ぜんまい採りに夢中になった山林
薪拾いや、わらび、ぜんまい採りに夢中になった山林
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2013年

8月

15日

兵隊さんが、このまちにいた

折しも今日は終戦記念日。

このまちで生まれ育った私の母Y.K.が、亡き母(つまり私の祖母)から聞いた話をしてくれました。


第二次世界大戦の戦意高まる昭和18年頃から、横根平子の坂の上(天上)には、照空燈(夜、空を飛ぶ敵の飛行機を探すための照明灯のこと)があり、対空陣地が構築されて兵士たちが駐留していました。

「対空陣地」とは、本土空襲の様相をチェックする場所。それだけ、このまちが高台にあり、見晴らしがよかったことが伺えます。


そして、駐留する兵士たちが、母の家の離れに住んでいたというのです。

きっと近隣の家々に散らばって滞在していたのでしょう。

「兵隊さんがいた」と祖母は言っていたそうです。


家の敷地に武器を持った兵士がいる。

戦争と、空襲と、生と死が隣り合うその様が生々しく感じられるような気がします。


どこか遠くなってしまった戦争ですが、この機会におじいさん、おばあさんに聞いてみてください。

横根平子のこのまちにも、確実に戦争の足跡は残っているのです。


(「横根のしおり」P323 発行:横根区 より)

※「横根のしおり」は、昭和57年、このまちの方々が横根地区の地理や歴史をまとめた本です。大府市中央図書館で閲覧することもできます。私たちも所有していますので、ご興味のある方はぜひご一報ください。

540ページにも及ぶ力作です
540ページにも及ぶ力作です
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2013年

8月

13日

ペルセウス座流星群!

さすがに流れ星はもちろん、星を撮るのも難しく…坂の上からの町並みです
さすがに流れ星はもちろん、星を撮るのも難しく…坂の上からの町並みです


見て来ました!ペルセウス座流星群。

 

13日午前3時。大府随一の見晴らしスポット、横根平子の坂の上へ。


お天気にも恵まれ、空にはキラキラ星がまたたいています。

眠い目をこすりつつ、パジャマのまま連れて来た3歳の息や家族と共に、夜空に目を凝らしていると、「ツイーッ」と音もなく細いきらめきが降ってきます。


眼下には街の灯がある市街地の為、「次から次へ…」というわけにはいきませんでしたが、連日の猛暑はどこへやら、涼しい風が吹く坂の上で、素晴らしい空からの贈り物に見入っていました。

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2013年

8月

11日

8月6日の大雨

6日、暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が不安定になり、気象レーダーによる解析では6日未明に大府市付近では、1時間に110ミリ程の猛烈な雨が降ったとみられ、気象庁は「記録的短時間大雨情報」を発表しました。


雨降り後の朝、平子のまちを歩いてみました。大雨が降った様子がいろいろな所で観察できました。


側溝のふたには流されてきた木の枝などがひっかかっていました。この大雨で側溝では収まりきらないほど水の流れが生じたようです。

また、表土が流されて、アスファルトの道路まで流されている場所もありました。


それでも今回は多くの畑の植物や林の木々のおかげで保水がなされ、大きな災害には至らなかったと思います。


しかし、もし開発でこの地区の畑や林から緑がなくなったら、今回のような大雨がふった場合、水の行き場がなくなって大きな災害が起きるのではないかという不安に駆られます。

側溝にも流された木々が
側溝にも流された木々が
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2013年

8月

05日

野山を駆けまわった子どもたち

魚釣りをした宝池です
魚釣りをした宝池です

このまちで生まれ育ち、今も畑仕事に精を出されているT.O.さんは、今から約60年前の子ども時代、雑木林でターザン遊びをしたり、宝池で魚釣りもしたそうです。


そこには、昭和の横根平子のまちを駆け抜けるT少年の姿が目に浮かびます。

 

さらに、レンガ造りの用水路の先で、亜炭探しにも熱中したんだとか。

「亜炭」とは石炭の一種で、作られた年代が最も若い石炭のことで、石灰化度が低く、燃やすには火力が弱いのですが、第二次世界大戦後の一時期は使用されていたようです。

残念ながら亜炭は出て来なかったようですが、今のように便利な世の中ではない分、自分の体を使い、自分で考え、工夫して遊んだり、家の手伝いをしたり。


きっと、自然と真正面から向き合い、共存していく術が自然と身についていったのでしょう。

そうすることで、人々は生きるために何より大事な「力強さ」や「揺るぎなさ」を養っていたのではないでしょうか。


今の横根平子のまちからは、残念ながら子どもたちの声はほとんど聞こえません。

雑木林でターザンに扮するたくましい子どもたちの歓声が、このまちに響き渡ればいいなと思います。

亜炭探しをしたレンガの用水路
亜炭探しをしたレンガの用水路
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2013年

7月

27日

横根平子と東北をつなぐひまわり

このまちに住む、H.T.さんから、ひまわりの写真が届きました。

 

今、横根平子に大きなひまわりが咲いてます。

このひまわりは、「震災を忘れない」との思いをこめた「刈谷発 咲かそうひまわりの輪プロジェクト」でいただいたタネを今年の5月に植えたものです。

岩手県大船渡市を中心に、津波による塩害を受けた土壌の回復に、ひまわりを育て、たくさんの花が咲きました。
その時獲れた種を縁あって譲り受け、被災地の「忘れないで」という思いを伝え広げるために配布されたものです。

猛暑の続く今年の夏。暑さに負けず、2m近くもある3本のひまわりが青空にむかって、のびのびと育っています。
震災から2年半近くになります。先月、岩手県大船渡市を訪問しましたが、津波でまちの多くが失われたままでした。
その被害は甚大なものでした。しかし、まちの再建に向けて人々が動いていました。
新しいまちづくりが着々とはじまっていました。

震災の記憶は日を追って遠くなっていってはいないでしょうか?
ひまわりはまるで「被災地を忘れないで」と優しくほほえんでいるように思えます。

太陽に向かってぐんぐん伸びました
太陽に向かってぐんぐん伸びました
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2013年

7月

24日

坂の上から、夕焼け小焼け

こんにちは。「横根平子のまちづくりを考える会」です。


このブログは、私M.T.が横根平子のまちの様子や、会員の方々の想いなどをお伝えしていきます。

更新はボチボチですが、少しでもまちの空気を感じていただけたらと思います。

 


さて、私は区画整理予定地区から少し外れるものの、横根地区に住んでいます。

毎日のようにまちを歩き、時には両親の畑でスイカの育ち具合をチェックし、坂の上から空や夕焼けを眺めています。


「毎日は慌ただしく過ぎていくけれど、こうやって夕焼けを眺めることで、一日をちゃんと終わらせることができる。そしてそれは、また次の新しい日に向かうエネルギーになる」というのが私の持論です。

そして、夕焼けを見るのは、やっぱり横根平子の坂の上からが最高です。


私は大府で育ち、学生時代から10年間東京にいました。離れていた時間があったからこそ、このまちの素晴らしさがよくわかります。


青い空の色や、鳥の声、青々とした草いきれ。空気の冷たさ、そして、夕焼け。


そこには四季の移り変わりがちゃんとあって、自然は優しく、多くのものを与えてくれます。

横根平子地区には、山があり、畑があり、家があります。色々な草花が咲き、虫が飛び、鳥がさえずります。


人と自然とが共存する、そんなまちの魅力を、これからお伝えできればと思います。

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